
はじめましてAIC代表の上原翔と申します。
本記事では、上原翔がどんな人間で、どんな想いでAll In Community(AIC)を立ち上げたのかを話します。
最後までお読みいただき、少しでも多くの方に私の想いが届けばうれしいです。
上原がAICを立ち上げるまで
もとはただのサラリーマンから今では複数企業の経営者になりました。そこまで自分自身が変化できたのは、困っている人を救うために生きるという軸を持ち、諦めずに行動してきたからです。AICは、私のように騙されて辛い想いをする人が少しでも減るようにとの想いで立ち上げました。
今の時代は自分の利益のために涼しい顔をして人を騙し、お金をだまし取る人が溢れています。表面上は笑顔なのに、目の奥はまるで笑っていない、そんな心を無くした人が溢れる社会です。しかしそんな社会にも、少数ながら純粋で、仲間や社会のために生きられる人がいます。
私はそんな社会の中で少数派の純粋で、仲間や社会のために生きられる人たちは、幸せに生きるべきだと思っています。そして、そんな仲間が10,000人集まれば、社会に大きな良い影響を与えることが出来ると思っています。
あなた自身の夢ややりたいことを見つけ・挑戦しながら、心から信頼できる仲間を見つけ、胸を張って幸せといえる人生をつくりませんか?AICならそれを叶えることができます。
上原年表
基本データ
- 名前:上原翔
- 誕生:1989年
- 出身:東京都
- 学歴:中央大学 経済学部卒
- 資格:FP2級、ITパスポート
- 性格:博愛主義、わがまま
ざっくり人生年表
幼少期:0~6歳
記憶は殆どありませんが、デパートに両親と行くと、入り口付近で迷子になりおもちゃ売り場へ駈け込んでいたらしいです。両親からすれば迷惑な子供です。また幼稚園では、友達と先生たちが作っていた砂場の山にタックルをしたり、友達に飛び蹴りしたりして怒られたことがほぼ唯一の記憶です。ドラゴンボールとか戦隊ヒーローとか好きだったいわゆるヤンチャな子供でした。
少年期:6歳~12歳
小学生で学んだことは、立ち回りの上手さ、そしていかにしてリスク回避するかです。小学校低学年から、いわゆるガキ大将グループに所属していました。僕は喧嘩が弱かったのですが、自分がイジメられるのを避けるため、スネ夫のようなガキ大将の側近の立ち位置を確保しました。この頃に、周りの目をみて殴られないように空気を読むことを覚えました。
また、サッカーと水泳を習っていた関係である程度スポーツができ、習字が区の展示会に選出され、油絵が学内で優秀賞になる。バランス良くある程度は何でもできる小学生だったので、学内カーストで上から数えた方が早い位置でした。
青年期:12歳~18歳
人目を見ながらうまい立ち回りをしていたため、大きな苦労のなかった上原少年は、中学生でもそのスタンスは変わりません。公立中学校に入学した私は、できるだけ楽して効率的に生活することに頭をフル回転させていました。もちろんそれは高校受験も同様のスタンスで、高校受験、やがて訪れる大学受験や就職活動をいかに楽にやり過ごすか。そればかりを考えて受験する高校も選択しました。
僕の母は「いい高校にいき、一流企業に就職しなさい。」と僕に呪文のように唱えていました。当時、一流企業に就職することに全く興味のなかった僕ですが、将来の選択肢をわざわざ狭めるのも勿体ないとの理由で、なるべく勉強をせずある程度のレベルの大学に入学する方法として、大学付属の高校に推薦入試で入ることを目標に掲げ、中学校の内申点を上げることだけにフォーカスしていました。(中学校の内申点が40以上であればそれなりの大学の付属校の推薦入試の権利をもらえます)
どの授業も毎回手を挙げ、宿題以外のドリルを提出し、学級委員を務め、、戦略的に学生生活を過ごした結果、内申点は43/45点と、無事、志望校の推薦入試を受ける権利を手にしたのでした。
そして無事、志望校に入学することができました。志望校に入学したものの高校は全く勉強しませんでした。成績は学年で下から10番くらいでしたが、もともと大学にストレート入学するためだけに入学した附属校なので、気にもとめませんでした。(留年しそうになった時だけ頑張りました。)
一方で、高校生にもなると、大人になる自分がだんだんと現実味を帯びてきます。大人になることが嫌すぎて涙を流して寝れないことが何度もありました。
というのも私の父は仕事の関係上、家に帰るのが遅く、休みの日はずっと寝ています。母は「どーせ」「でも」と未来を決めつけたり否定する言葉が口癖です。恩師と呼べる先生にも生涯出会えず、電車に乗れば死んだ目をした大人たちがギューギュー詰めでストレスを我慢しながら乗っています。
そんな周りの大人たちを見続けるうちに、大人への憧れを一切持てなくなり、嫌すぎて涙を流していました。毎日一歩ずつ確実に大人に近づく現実から目を背け、無気力になった時期でした。
大学期:19歳~23歳
「将来の選択肢を狭めないため」以外の目的がなく大学生になった僕ですが、確実に「大人になる日」が近づき自暴自棄になっていました。
大学にはほとんど行かず、バイト中心の生活。バイト代を洋服代とお酒につぎ込み、翌日もバイトをする日々です。
毎日をただただ生きる、生産性のない時間を過ごしているうちに自分に嫌気がさす、、そんな出口の見えないスパイラルに陥っていました。そこから抜け出したいと思っても、抜け出すだけの熱もなく、結局は生産性のない日々が続きました。
そんな日々を過ごす中で、人生のキーポイントが突如訪れました。
きっかけは、バイト前にたまたま寄った本屋です。普段は寄らない本屋で、たまたま目に付いた本。それが私の運命を大きく変えました。
本については伏せますが、その本の作者の文章は大人なのに子供のようでした。子供のようにまっすぐに言葉を表現し、子供のようにキラキラと笑い、純粋な涙を流す。その作者に心惹かれ、その人に会いに行きました。
実際に会ってみると、その人は私の周りの大人とは違い、気の向くまま、人生を楽しんで生きている生命エネルギーに溢れる人でした。
その人に刺激を受け、私も自分自身を変えるべく、当時の僕が調べた限り一番ヤバそうな「インド」へ一人旅に出ることを決意しました。その人にあった次の日には、行きの航空券と初日の宿を決め、あとはノリで!という旅を組みました。
一人旅の日が刻々と近づくにつれ、ワクワクと同時に、それ以上の不安が胸をしめつけて押しつぶされそうでした。そんな日々を過ごし、あっという間に旅行の日。60Lのバックパックに荷物を目一杯つめて、成田からインドのヴァラナシへ向かいました。
インドはよくカオスだと言われますが、まさにその通り。3秒に1回くらいクラクションが鳴り、リキシャ・タクシー・牛などがルール無用で交通し、町はゴミで溢れ、電車は数時間平気で遅れ、大人たちは涼しい顔をして嘘をついてきます。親のいない物乞いの子供たちも沢山いて、食料やお金を求めてきます。
インドにはカースト制度が存在し、生まれた家庭で未来の範囲が決まってしまいます。そんな子供たちが物乞いとなり観光客に食料やお金をねだる姿は、日本では決してみれません。(↓の写真はインドの道端で出会った親のいない子供)
そんな現実を見て、僕ははじめて日本の素晴らしさを認識することができました。当たり前だと思っていたことも、比較対象ができたことで客観的にみることができたためです。
それと同時に、経済的にも豊かで、世界的にみれば犯罪も少なく、社会的差別もない、そんな日本に生まれたのに「どーせ無理」と、はなから自分の未来を諦め、抜け殻のように働いている大人の視界の狭さに悲しくなりました。
インドで一人旅をした経験を通じ、私は「どーせ無理」と諦める大人にだけはならず、自分のやりたいことに挑戦する生き方をすることを心に決めました。
とはいえ、社会人経験もないし、何のスキルも持ち合わせていません。まずは、サラリーマンをしながら経験を積むしかなく、嫌々なから普通の大人になってしまいました。
サラリーマン期:23歳~26歳
サラリーマン生活は思っていたよりも充実していました。上司や部内の人との関係も良好で、有給休暇も取ることができます。年齢の割には、ある程度の大きなプロジェクトも担当しており、悪くない日々を過ごしていました。
常にどこか物足りなさを感じていた自分もいましたが、そんな自分をだましながら与えられた環境で最大限にポジティブに考える様に努めていました。
そんなある日、親しい友人からの副業の誘いがきっかけで、私の人生は大きく変化します。友人から話を聞いた瞬間に、ふきのとうが芽吹くようにどこか退屈な毎日に光が照らされるような感覚を味わいました。「これで人生が大きく好転するかもしれない。」そう思い、毎日必死で取り組みました。
しかし、現実は予想以上に甘くなく、色々な情報に踊らされて、あっという間に数百万の借金を負うことになります。会社に行く電車賃さえ満足に払えず、一日一食、たまごかけ納豆だけの生活を強いられます。
それでも「どーせ無理」とそこで諦めず、抜け出すために必死に日々行動したおかげで、結果として、なんとか起業してフリーランスになるところまで回復することができました。
フリーランサー期:26歳~28歳
起業してからというもの、付き合う人間が会社員時代とガラッと変わり、インターネットビジネスの業界で活動する人たちと過ごす時間が多くなりました。
彼らは、お金稼ぎに関してはプロフェッショナルで、当時は年収1,000万円を超える彼らを純粋に尊敬していました。一方で彼らと過ごすことで、出費も大きく増えました。毎日夜遊びをし、一日で数十万円も使う日が殆どでした。
そんな彼らとしばらく付き合っていましたが、日に日に虚しさや寂しさ、後ろめたさが大きくなっていました。
彼らの主戦場とする業界は、強者が弱者からお金を搾取するような、心と愛が欠けてしまっている業界なのです。彼らは言葉では調子良く心や愛を語りますが、当たり前のように価値のない(低い)サービスを顧客に販売しては、そのお金で豪遊していたのです。
私は彼らに「真っ当なビジネスをしよう。」と提案しましたが、彼らはお金に目がくらみ、私の声は耳に届かないほどに落ちぶれてしまっていたのでした。その結果、彼らとは縁を切り、心が温かくて人や社会のためになる事業を作ろうと決意したのでした。
現在:28歳~現在
以降、最初にAICの前身であるコミュニティを設立しました。そのコミュニティは私のように副業情報で騙されてしまう人を救いたいとの想いでつくった団体です。現在のAICは副業だけではなく、関わるだけで豊かになれる場所を目指して活動しています。
学生の頃の様なサークル活動や、楽しいものや学びのあるイベント、年齢や経験を超えた人材交流、経験豊富な相談役、豊かな人生には欠かせないさまざまなものが手に入る場所を目指して、新しい活動をどんどん増やしています。
これからAICは10,000人の心ある同志を集め、社会で大きな価値を提供する団体になります。今はまだ小さくても、関わる皆さんそれぞれに提供できる価値はたくさんあります。叶えたい夢がある方、夢は見つかっていないけど幸せな人生を歩みたい方、人生を共に歩む同志や仲間を見つけたい方、社会に貢献したい方、、そんな方を歓迎します。
自分が良ければそれでいい。そんな人は残念ながら参加できません。
私と私たちの仲間の想いを汲み、共に豊かな人生を目指して生きていませんか?
挑戦したいあなたにAICの想いが届けば嬉しいです。
AIC代表 上原翔
2021年にやったこと

滝行で身を清める

虫とゲテモノを食す

山手線を1周歩く

ルノルマンカード(占い)を学ぶ

宝石(瑪瑙)を採取する

世界一の味を食う

宮古島でウミガメと泳ぐ

甲武信岳を周回する

公園で野宿
2022年やったこと

わんこそばを100杯食べる

瓦割り

伊勢神宮で日本一の神様にご挨拶

無人島でBBQ

富士登山

手相占いを学ぶ

ラジオ出演