人との接し方が変わる 「思いやり」と「お節介」の違い

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この記事では、なかなか仲間や友達ができなかったり、ズバズバと発言して相手を傷つけてしまった経験があるが方に読んでほしい記事です。

とても不思議だと思いませんか?

相手のためを思って行動したことに対して、「思いやり」「お節介」と違う評価になることがあります。

思いやりは、ポジティブな言葉でこちらの愛情が100%伝わった状態ですが、お節介はネガティブな感情です。

こちらから発する愛情は同じなのに、何故そんな違いが生まれてしまうのでしょうか?

目次

「思いやり」と「お節介」の違い

「思いやり」と「お節介」どちらも相手のことを想って行動するものですが、相手の受け取り方次第で真逆の感情になります。その違いはなんなのでしょうか?

理由はいくつかありますが、大きな部分を占めるのは「矢印の向き」だと思うんです。まだ漠然としているので、もっとわかりやすく説明します。

「やさしさ」で相手に何かアクションを起こすところまでは、「思いやり」も「お節介」も同じです。しかし、前者(思いやり)は相手の悩みを聞いた上で自分なりの解決策を提示するものですが、後者(お節介)は相手の悩みを勝手に想定して勝手に解決策を提示する違いがあると思います。前者(思いやり)は相手から自分に向けて助けを求めた矢印ですが、後者(お節介)はこちらが勝手に妄想して勝手に提案する矢印です。

この違いはそんなに無いようで、全く大きな違いだと認識しなければいけません。

後者の「お節介」の代表例が、ネットワークビジネスや情報商材を販売している方です。多くの(センスのない)営業マンは「人生変えようぜ!」とか「年収1000万円めざそうぜ!」のような、相手のニーズがあるかどうかは関係なく営業をかけてきますよね。こちらの都合も関係なく「すごい人がいるから会ってみない?」みたいなオファーをかけて来たりますね。

これはただのお節介でしかなく、いわゆる「押し売り」って状態になっているということです。

「お節介」にならないために

お節介になってしまう方の特徴として、論理的に「正しいことを正しい」と話してしまう方が多く見受けられます。

僕自身もこれで失敗したことがあるのでひとつ例を出しますね。

私が「お節介」になった例

実は数年前にとある会社を手伝ってほしいという事でありがたいことにお声がかかり、お手伝いすることになりました。その会社に僕の名刺をつくってもらって本格的にお手伝いすることになったんですね。先にその会社の背景を話すと、会社自体は5年以上経過している会社で、とある地域である程度の成果がでたので東京に進出してくるというタイミングでした。そのタイミングで合流させていただき、お手伝いをすることになりました。

本格的にお手伝いするとなると、僕も責任があるので彼らの会社の収益を上がるために、色々とアドバイスをしたり実際に足を動かしたりと努力をしていました。

そのように活動していく中で、ゼロから東京で成功するためには、企業体質や商品の構成を大幅に改善するべきだと結論に至ったんですね。僕の中では100%その方がいいと思ったし、それはある程度マーケティングをかじっていれば明らかにその方がいいよね、と思う様な内容でした。さらに言えば、理屈を話して相手も”理屈は”納得していたことです。

そして、それを理路整然と話したんですね。「明らかにこの方がこうゆう効果が期待出来て・・・。」と。ですが結果どうなったかというと「経営にまで関わらないでください、距離を置いてください。」と回答を頂いたという結末です。

この時の僕は完全に善意100%で、且つ理論的には確実に正しかったはずです。それでも、相手が求めていなかったので、「お節介」野郎になってしまったのです。

この事例から学んだこと

この時の僕は、何がいけなかったのかわかりませんでしたが、時間をかけて深く考えて答えが出ました。

一つは、彼らが僕に何を期待していたのかをはき違えていたことです。彼らが僕に求めていたものは、今のやり方で人手が足りないから仕事を手伝ってほしいくらいのニュアンスだったと思います。それに対して僕は、収益を伸ばすために経営側で手伝うものだと思っていたのです。相手が何を求めているのかをきちんと言語化しておかなかったことが、一番の原因といえるでしょう。

その上で、勘違いした状態の僕はプライドを持って仕事に取り組んでいるの彼らのやり方を、真っ向から否定してしまったのです。従来のやり方だと東京では戦っていけない、東京だとこうすべき!という言い方をされたら、プライドを持って愛情をもって仕事をしている社長からしたら頭に来るのは当然ですよね。しかし僕は、そんなこともわからず喜んでくれると思って、理論を並べてしまったのです。

やはりどんな時でも大切なことは、相手に対する思い遣りということを忘れていたんですね。

白でも黒でもなくグレーでいること

大半の部分がグレー

僕たちは教育の中で白黒つけることを学びました。学校のテストであっても基本は〇か×で評価されます。アンパンマンは正義でバイキンマンは悪だし、ウルトラマンも仮面ライダーも正義で怪獣が悪ですね。

ですが世の中はそんなに単純じゃありません。白や黒よりも、正しいか正しくないか曖昧なグレーの面積がだいぶ大きいのが世の中です。ようは〇でも×でもない地帯です。

先ほどの私の事例でいえば、私は自分が〇(正しい)だと思って理路整然と提案をしました。しかも相手からとっても理屈は〇(正しい)です。それでも結果は×(正しくない)でした。理屈は〇でも感情が×だったのです。

人には感情があり、感情は時として理屈なんかよりも大きなパワーを発揮します。母親から「勉強しなさい!」と言われて、理屈は勉強した方がいいと思っても、面倒くさいが勝ってゴロゴロしちゃうのと一緒です。正しいかといったら正しい判断ではありませんが、感情的にその時はそれが正しいのです。

グレーな部分を残すことが大切

グレーが良いとか悪いとかそんな議論をするつもりもないし、正直良いか悪いかでいえば悪いとは思っています。しかしこの社会の構造自体がグレーで浸食されている事実は変わりません。

会社でイメージしてもらうと、どこに責任の所在があるかわからない仕事って沢山ありませんか?打ち合わせでもこのタスクは一体誰にふっているんだろうとか、なんで明確に期限を決めないんだろうとか。そんな事案はゴロゴロ転がっています。そこにメスを入れて責任の所在を明らかにして無理やり期限を決めたらどうなるでしょう?

責任者として名前を入れられて、期限を管理されたとしたら多くの場合はモチベーションが下がるでしょう。もしかしたら生産性が悪くなるかもしれませんね、時として感情の方がパワーが強いので。

そう考えるとグレーの部分を残しておいて、基本的には相手の進め方に任せてみるというスタンスでいるのが最も現代にマッチしているのかなと思います。

さいごに

「思いやり」と「お節介」の話から発展し、白黒グレーの話をしました。一見、別の話のように思いますが繋がっている話です。

自分の意見が正しいと思いこみ、相手の立場や感情も考えず「白!白!」と一歩的にボール(理屈の通った解決策)を投げるのは「お節介」でしかないということです。

相手の状況や感情を考慮して、相手が投げてきたボール(悩み)に対して、優しいボール(感情に寄り添った解決策)を投げ返すのが「思いやり」だということです。それが理屈的には必ずしも正しくなくても、感情的に救われるグレーなボールを返してあげることが大切なのです。

常に「相手からの矢印」を心掛け、「思いやり」のある人間関係を構築していきましょう。

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